1980年代のパンク・ロック [編集]
1978年のセックス・ピストルズ解散によりパンクは事実上の終焉を迎えた。しかしながら、かつてモッズが70年代にネオモッズとしてリバイバルしたように、イギリスにおいては、1980年代に入り、ハードコア(極端)なサウンドをよりスピードアップされたリズムに乗せて政治的なメッセージを伝えるネオ・パンクバンドが次々と生まれる。いわゆる1981年から82年にかけて起こった「ハードコア・パンク・ムーブメント」であり、ディスチャージ、G.B.H.、ジ・エクスプロイテッドといったバンドが次々に登場、シーンは活性化する。イギリスのハードコアの源泉となったのは、エセックスのコミューン出身のバンドクラスだとされる。クラスはメンバーが共同生活し半自給自足の生活を送るなど徹底的な反システム、アナーキズムを貫き、パンク・ロックにより過激な主張を持ち込んだ。
また、ハードコアとは別にイギリスでは、ストリートとより密接に結びついたパンク・リヴァイヴァル/ネオ・パンクの動きOi!パンクが勃興する。シャム69、コックニー・リジェクツなどを中心とするこのムーブメントは、音楽的にはロンドン・パンクのポップさ、キャッチーさを継承しつつも、オリジナル・パンクにあったユニ・セックス的な側面は影を潜め、男らしさを打ち出すバンドが多かった。これは当時のポップミュージックの中心だったニュー・ウェイヴに反目する意味合いがあった。
アメリカにおいても、1970年代後半にニューヨーク・パンクやロンドン・パンクに影響を受けたバンドが次々と誕生、ブラック・フラッグやバッド・ブレインズといった有力バンドにより各地でハードコア・シーンが生まれた。局地的・アンダーグラウンド・レベルな現象の全貌を明らかにするのは難しいが、西海岸のファンジンの中には長期にわたって情報センターの役割を果たしたものもある。1977年創刊のロサンゼルスのフリップサイド誌は、ガレージやポスト・パンク等雑多だった時代からのファンジンである。バークリーのカレッジラジオ局のパンク番組マキシマム・ロックンロールがファンジンを創刊する1982年には全米的な規模でハードコアリポートが掲載されるようになった。[1]1980年代半ばには、ハスカー・ドゥやバッド・ブレインズのように大手レーベルと契約するバンドも増え、またSSTやディスコード・レコードのような個人レーベルがディストリビューションを拡大していった。
バッド・ブレインズの直接の影響下にあったワシントンD.C.はUSハードコアの中心の一つとなるが、ストレート・エッジを提唱した人気バンドマイナー・スレットの解散後、フロントマンであり自主レーベルディスコードのオーナーでもあったイアン・マッケイは、暴力化・様式化するハードコア・シーンに反発した音楽活動を開始、ディスコードはこの1985年を「REVOLUTION SUMMER」と呼ぶ。思想面での影響はクラスとの交流が大きい。音楽的な実験性は、GANG OF FOUR、WIRE、P.I.L、DEVO(実際、当時パンク・バンドとして紹介されていた)といった、ニューウェーヴ、ポストパンクからジャズやファンク、ヒップホップ、そしてメタルまで、ボーダーレス化した影響に現れている。USハードコアの場合、70年代から活動しているバンドはメタルやレゲエ・ファンクなどパンク以外の音楽的ルーツを残し、音楽的にあまり統一性がないが、ファスト・アンド・ラウド一本だった80年代からのハードコア・パンクスも同様の現象が起きたわけである。
こうして、第一世代によるハードコアは音楽ジャンルとしては終息を迎えて行ったが、1980年代半ば以降アンスラックスらによるスラッシュメタルからのクロスオーバー[2]の影響が強かったニューヨークでは、アグノスティック・フロントやクロ・マグスらに代表されるハードコアのメタル化やクロスオーバー、それらに反発するユース・オブ・トゥディらストレート・エッジの復古的な盛り上がりが、ニューヨーク・ハードコアという新たなブランドを作り出した。 現代でハードコアといえば、こうしたニューヨーク・ハードコアの流れを汲むバンドが世界的に見てほぼ主流と言って差し支えないが、日本では今なお旧来のジャパニーズ・ハードコアやUKハードコア・パンクの流れが強い。
グランジ・ブーム [編集]
アメリカにおけるハードコア・ムーブメントはアンダーグラウンドな動きにとどまったが、その過程において各地のバンド、インディ・レーベルを結ぶネットワークができあがる。そのような状況下、サウンドガーデンやグリーン・リヴァー、マッドハニーといったバンドがシアトルのインディ・レーベルサブ・ポップより次々とデビューし、シアトルのアンダーグラウンドシーンは盛り上がりを見せる。そして、1980年代初めからニューヨークのアンダーグラウンドシーンで活躍していた ソニック・ユースが、1990年にメジャー・レーベルのゲフィン・レコードよりデビュー、翌1991年にはニルヴァーナが『ネヴァーマインド』でメジャーデビューし、全世界で1,000万枚を売り上げる大ヒットを記録する。その後パール・ジャムなどが次々とメジャーデビューし、グランジ・ブームが訪れる。
しかしながら、1994年にニルヴァーナのリーダーであったカート・コバーンが自殺すると、グランジがオルタナティブ・ロックに呑み込まれる形で、グランジ・ブームは急速に終焉を迎える。
ポップ・パンク、メロコアの台頭 [編集]
1980年代後半にバッド・レリジョンが、ハードコア的なサウンドをよりメロディックにスピーディーにさせたスタイルを確立。NOFX、ペニーワイズや、イギリス郊外系パンク・ファッションを継いだランシドなどがその音楽性を発展させ、そのサウンドはポップ・パンクやメロディック・ハードコアと呼ばれるようになる。
そして、1994年、グリーン・デイのメジャーデビュー、オフスプリングの3rdアルバム『スマッシュ』の大ヒットにより、ポップ・パンク、メロコアが爆発的なブームを巻き起こす。
ポスト・ハードコアの時代 [編集]
世界中でグランジが流行する1990年代前半、イアン・マッケイ率いるフガジは反抗精神とアンチ商業主義を持ち続け、この影響を公言するバンドが現れいつしかその音楽性はエモ・コアと呼ばれるようになる。そして、ポップ・パンク・ブームも落ち着いた1990年代後半からジミー・イート・ワールドやゲット・アップ・キッズ、アット・ザ・ドライヴインなど数々のフォロワーが生まれ、現在に至る。
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